踊る阿呆と見る阿呆、どちらがお得?

日土水むらの合言葉は「踊る阿呆」-日土水むら 日土水むら

かの空海は「のうぼうあきゃしゃきゃらばやうんたらたかんまん」と百万回となえたとき、口に光がはいって悟りを開いたと。

そして久保は飲んだくれていた毎日。とある日の朝。

踊る阿呆に見る阿呆
同じアホなら踊らにゃソンソン

という言葉が降って湧いてきたんだと。

ということで日土水むらの合言葉は、

踊る阿呆に見る阿呆
同じアホなら踊らにゃソンソン

となりました。

踊る阿呆のススメ

踊る阿呆に見る阿呆と言われますが、踊る阿呆になるのは多くのメリットがあります。踊る阿呆になることで、人生がより豊かで楽しくなる可能性があります。

ということで、僕も踊る阿呆代表として発信をしているわけです。

自由な発想と創造性の開花

踊る阿呆になることは、自由な発想と創造性を引き出す助けとなります。

制約やルールに縛られず、自分自身の思いつきやアイデアをカタチにできます。

さらに追求することで、新しい視点や斬新なアプローチで問題解決につながります。

ストレス解消と心のリフレッシュ

踊る阿呆になることは、ストレス解消や心のリフレッシュにも役立ちます。

自由に行動して楽しむことで、日々の疲れやプレッシャーを忘れることができます。

笑って毎日をすごし、楽しい経験を通じて心のバランスを取り戻し、ポジティブな気持ちになります。

嬉しい楽しい、ありがたい

そんな生き方をしていて不幸になるのは想像できないですよね。

新たな出会いとつながり

踊る阿呆になることは、新たな出会いやつながりをもたらすこともあります。

同じ考えや趣味を持つ人と交流をすることは、人生に大きく影響をあたえてくれます。もちろん良い方向へ。

踊る阿呆になることは、人生をより充実させます。

他人の目を気にせず、自分自身を解放して踊りませんか?

踊る阿呆になることで、新たな可能性や喜びが待っています。

踊る阿呆になれないのは?

よっしゃ。それじゃいっちょ、踊ったろう

となればいいですが、そうなるのは難しい人もいます。

踊る阿呆になれない……
そもそもワタシは踊りたいの?
んじゃ、なぜ踊れないの?

そんな悩みを解決するために相談にのっていますが、2つ問題があるように感じます。

人の目が気になる

ちょっとなに言っているかわからない

とサンドイッチマンの富澤さんのように言いたくなるのですが、圧倒的に多いです。

セッション中にいろいろ提案するのですが、だれかに「そう言え」とおどされているかのように、当たり前に言います。

でも、それしたら誰かになんか言われるかも

と。

安心してください。
誰もなにも言いませんよ。
あなた何様ですか?

と思います。たまに言ったりもします。

「何様ですか?」はさすがに言いませんが。

理由は自意識過剰と教育が原因です。

あと女性特有の性質がそうさせるようです。

女性は男性にくらべると視野が広く、でもって男性よりもいろんなことが目にはいってきます。

これは子どもを産んで、育てる仕事が女性にあるからです。

子どもを見ているとわかりますが、男の子に「赤ちゃん見といてね」って言ったら、ホントに見ているだけだったりします。

なんだけど女の子に同じこと言ったら、なにかしらお世話をしようとします。

子どものころから、すでに男女の違いがあります。

そんな女性の性質があり、自分がそうなんだからまわりもそのはずと思い、他の人とちがうことをする、他よりも目立つことがコワいようです。

どうあれ行動することです。なにすりゃいいかというと、最初の一歩をふむことです。

自分にできることがないと思いこんでいる

社会の仕組みに違和感がある
そんな社会で頑張るつもりはない
仕事ができないわけじゃない
自分で仕事をつくりたい

でも自分になにができるの
そもそもなにをしたいの

そんな答えがあるようでない悩みの解決相談を受けていますが、口をそろえていうのが、

自分にできることはなにもない

です。もう、口裏あわせて、みんなでおなじこと言って困らせてやろうじゃないかと打ち合わせしてるんじゃないかというくらい、言われます。

自分にできることはない

と。

これはしょうがないことで、この社会では無力感を植えつける教育をされるからです。

具体的にどうこうといったものじゃなく、気がつけば、そんな教育をされてしまいます。

自分は無力で、誰かになにかにしたがわないといけない。

そう思いこむようになっています。

僕のように社会不適合者はそう思わないのですが、この社会でマジメに生きれば生きるほど、自分は無力だと思いこむように教育がされるわけです。

抜けようと思っても抜けられず、しかも、抜けようとしたら誰かが全力で止めにくる仕組みになっています。

ですが、セッションでその思いこみを外すと自分にできることが出てきます。

なぜかというと、なにかをしたくてこの世界に生まれてきたからです。

踊る阿呆になると、もれなく自分がやりたいことが出てきます。

あとからあとから出てきて、

「やりたいことだらけ。どうしよう」

そんな悩みをかかえるのが、踊る阿呆です。

踊る阿呆になる方法?

それじゃ、その踊る阿呆にどうすればなれるのでしょう?

ともかく動いてみることです。

知:やり方を調べて知る
覚:やり方を覚える
動:まず動く
考:工夫を考える

「知・覚・動・考」ひらがなに変えると「ともかくうごこう」です。

なにも考えず、自分が感じるままに思うがままに動いてみることです。

手当たり次第、目についたもの、思いついたものをやってみることです。

やり続けたけりゃ続けてみて、やめたくなればやめればいいんです。

そうやって動いていると、ずっと続いているものが何かあります。

そして、イヤになるくらいの続かなかったことがあります。

そうやって続いたモノと続かなかったモノがはっきりすると、自分がやりたいこと、やりたくないことの特徴が感覚でわかります。

そうなったらしめたもので、やりたいことの特徴があるものに挑戦します。

時間はかかります。でも、やっていて苦ではないのでつづけられます。

ともかくうごこうともかくうごこう

念仏のように唱え動きつづけましょう。

気がつけば、いつの間にか、自分が知らないうちに自分のやりたかったことをやっていて、そして、それで喜んでいる誰かの顔を観ることができます。

槇原敬之さんっぽく言うと、

さんざん探していた僕の欲しがっていたモノは、僕のあげたもので喜んでいるたくさんの人たちを見ている僕の気持ちです。

そうなったときが踊る阿呆です。

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