「ハイブリッドな縄文時代の生活をしたい」
日土水むらの活動がはじまったのも、僕のこの言葉が一つの原因になっています。
なので、僕もなにかしらのカタチで活動に参加しなきゃという想いから、こうしてサイトをつくり記事を書いているわけです。
さて、縄文時代というと原始人が穴倉で狩りしながら生活していて、弥生時代に大陸から文化がはいって文明的な生き方がはじまった、そんな認識じゃないでしょうか。
でも、縄文時代はかなりスゴい文明で、これからの世界のひな型になるんじゃないかと僕は考えています。
縄文時代の誤解
縄文時代は穴倉で狩りしながら原始人たちが生活していた時代。
日本人は、そんなふうにとらえている人が多いです。
なんですが、それって誤解です。
日本で教えられている歴史は、ねじ曲げられているところが多いです。
たとえば日本では四大文明が最古の文明と教えられていますが、世界でそう教える国はほんの一握りで、アジアの極東くらいです。
で、四大文明よりもはるか昔に栄えていたのが日本の縄文時代です。
西洋では原始人がウホウホ言いながらくらしていたとき、すでに独自の高度な文明がつくられていたのが縄文時代です。
そして、とてつもなく長い期間、平和な世の中だったのが縄文時代で、縄文時代に人々が争いあった痕跡や武器はいまのところ見つかっていません。
争いがなかったかもというのは、おなじみの縄文式土器があることでも証明できます。
縄文式土器はかなりこった作りになっていますが、戦乱の世の中では、そのようなこったものをつくることは難しいわけです。
なぜかというと、戦乱の世の中では、そんなこったモノをつくる精神的な余裕はなく、つくっても壊される可能性が高く、そもそもそんなモノより武器が求められるわけです。
なので、縄文式土器のようなこったモノがつくられたのは、平和だった証拠と言われています。
一番古い土器は1万6千年前のモノですが、そのころの西洋は旧石器時代で何かを加工することなく使っていた時代です。
そんな時代に、土器をつくっていた文明が日本に存在していました。
土器をつくれる。
ということは、すでに定住生活をしていた可能性が高く、世界で最初の文明が縄文時代と言われはじめています。
土器以外にも発掘された遺跡から、いまの4階だてに相当する建物があったと予測され、ゴミ捨て場もあり、たくさんの食べ物を保管していた跡もあり、かなり高度な文明だった可能性が高いことがわかってきました。
着ていた服は毛皮をイメージしがちですが、高温多湿な気候で毛皮を着る可能性は低く、出土したモノから想像すると、すでに布の服をきていたことがわかっています。
その他にも、女性の遺体からは様々なカタチのアクセサリーも見つかり、アクセサリーを遠いところと交易していた可能性があると言われています。
そして、もしかしたらUFOのようなものをつかって移動していた可能性も否定できないとされています。
そんな文明が自分の国にあったことを知らない人が多く、大陸から文明がやってきたことで人間らしい生活がはじまったと思っている人が多いわけですが、どうやらそんなことはないらしいというのが最新の研究でわかったことです。
縄文時代に学ぶ
そんな縄文時代の良いところと、現代文明の良さをあわせた「ハイブリッドな縄文時代の生活をする」そんなことを決めたのが5年前です。
「そんなにモノは必要なのか」
「これ以上、なにが便利ならいいのだろう」
20年前からモノをへらし、必要最低限でミニマルでコンパクトな生活を心がけていた僕は、そんなことを考えるようになりました。
料理人をやっていたのに食べることも必要最低限になり、玄米と味噌汁、鍋が基本の献立になりました。
服はそもそもこだわりはないので同じモノを必要最低限、片づけるのがメンドクサイので部屋も必要最低限、その他の生活も必要最低限になりました。
やればやるほど、
「生きるのにモノは必要ない」
「これ以上、便利になる必要性を感じない」
その想いは強くなるばかりで、必要なモノを必要最低限だけ自然からいただき、必要なお金を必要最低限だけ適当に稼ぐ。
あまった時間で好きなことをやり、好きな人たちとハダシで焚き火を囲み、歌を歌いたい人は唄い、楽器を演奏したい人は演奏し、踊りたい人は踊り、語りたい人は語る。
そんな暮らしができれば、そんな人たちで集まって暮らしが営めれば。
う〜ん、なんだろう。こんな暮らしを自分はしていたんじゃなかろうか、かなり大昔に。
は! そうだ。縄文時代。縄文時代はこんな生活をしていたんだ。そこにもどる時期なんじゃないか。
そんなことを考えてたら、久保と出会い、日土水むらの活動に賛同し、いまに至ります。
で、同じようなことを考えている人を集めるために、いま縄文時代をくわしく調べているところです。
いまの時点で、どんなことを目指しているかというと、
競争から共創
資本主義は競争するように洗脳されます。
競争し奪いあい、争いあうことでお金がまわり、そのお金が一方通行でどこかに集まるのが資本主義です。
奪いあうモノもわずかになったのに、その残ったわずかなモノを奪いあうために争いあい、先進国でも、北斗の拳の「ヒャッハー!」と叫ぶザコキャラのような人が現れています。
日本もそうなる可能性は高く、そろそろ北斗神拳や飛天御剣流、セクシーコマンドーなど、護身術を身につける必要があります。
なんだけど、それよりも大事なのはマインドを変えることです。
争いあい、奪いあう
その先にあるのは共倒れです
お互いに力をあわせて、一人一人ができることをやって共創することが、これからの社会では必要な力だと思っています。
縄文時代はこの共創が当たり前にできてたんだと想像しています。
平和な大和
縄文時代は1万年以上続いていたのですが、その間に争いがなかった可能性が非常に高いと言われています。
世界で「ミラクルピース」と呼ばれる江戸時代が260年。それよりもずっと長〜く平和が続いていたのが縄文時代。
僕たち日本人のDNAは本来「和を以て貴しとなす」ことを好み、争いを嫌います。
それだと侵略される可能性もあるので、
「こっちからは仕掛けないけど、そっちが来るならいつでもやるぜ。ボッコボコにしてやんよ」
という鎌倉武士のような姿勢を持ちながらも、平和で争わない社会をつくり、そんな空気を育て拡げ、いずれ世界を大きな和でつないでいくのが、これからの日本が与えられた役割で、それを実行するのが日本人じゃないかと考えています。
自然と共生
お米づくりを今年から手伝い始め、畑をかりて芋を育てました。
思っていた以上に、自然のチカラを借りないと作れないものだと知りました。
人のチカラなんて微々たるもので、自然の片隅で街をつくって生かしてもらっているわけです。
一部では我がモノ顔で経済活動のためと自然を壊しています。
それでいいのかなぁ
今年は強く感じました。
獣も草も木も石も虫も、自然にいるすべてが喜ぶ世の中。
それがこれからはじまる「ミロクの世」とされています。
そんなミロクの世をつくろうと、日土水むらでは考えています。
どんなカタチになるかはわかりませんが、
自然と共生すること
が大事なわけで、そのヒントとして縄文時代の生き方を調べていきますし、一緒に調べていきましょう。
コメント