いままでの仕事や人生のなかで「効率」を求められていました。
ムダなコストをなくし、効率的に経営すること、仕事をすることが一流の社会人とされていました。
ですが、その一流の社会人がAIに仕事を取られようとしています。
効率よく調べて、まとめて
資料をつくって、人につたえる
それが毎日の仕事だった人、そんな人たちが「出来損ないのAI」として経営者にあつかわれ、不要とされる日は、そんなに遠い未来の話ではないと個人的には感じています。
いわゆるホワイトカラーの仕事がなくなるわけです。
まあ、社会を外れた人間のたわ言だと思って流してください。
いまの社会の効率って、ホントに効率的か?
そもそも効率をもとめている、いまの社会。
ホントに効率的なのかと思っています。
いまの社会は資本主義といって、昔の帝国主義が進化したものと言われています。
それまでは小さなムラがあつまって、それぞれのムラで生活が成り立っていました。
ただ、すべてのムラが裕福ではありません。
でも、自由ではありました。
その自由を引き換えに裕福さをとり、貨幣をつかった取り引きがはじまり、少しだけ豊かさはフラットになりました。
ですが、物々交換は非効率とされ、税金を作物で収めるのは不可能になりました。
人によっては貨幣を稼ぐ必要が出てきて、工場で働く人が出てきました。
自由と引き換えに裕福さを取る人が増えていったわけです。
場所によっては自分たちが食べる食料じゃなく、輸出するために食料をつくるところも出てきました。
食料だけでなく、工場でなにかをつくるための素材を育てるようにもなりました。
自分たちが食べるものをお金で買うようになり、それが当たり前になってきました。
いつの間にか自給自足で物々交換で成り立っていた生活が、お金なしには成り立たなくなり、畑を捨て、土地を売り、都会で働いてお金を稼ぐほうが効率が良いんじゃない?
そう考えるようになる人が増えてきて、
田舎はカッコ悪い、都会がカッコいいと考える若者が増え、
おら東京さ行くだ
おフランスいくざます
自由の国アメリカへ
と先進国の都市で暮らす人、あこがれる人が増えていきました。
いわゆる「グローバル化」と呼ばれる現象のはじまりです。
グローバル化で起こるのは競争です。
競争に勝った少しの人が豊かになるかわりに、大勢の人が苦しい思いをするのがグローバル化の一面です。
そんな理不尽な競争はホントに効率が良いのでしょうか?
頑張れば報われるという心の生活習慣病
頑張れば報われる
それは幻想でしかないわけです。馬の目の前にぶら下げられたニンジンと一緒です。
その永遠に手に入らないニンジンを食べようと、みんな一生懸命です。
成功や起業、一流の社会人になるセミナーに参加して自分を高めても、ニンジンを食べられるのは別の人間です。
馬である参加者が食べられる可能性はかぎりなく低いです。
そんな不都合な真実をかくすために、キラキラしたゴージャスな金ピカなニンジンがぶら下げられていて、
頑張っていればいつか報われる
と、食べられないニンジンを必死に手に入れようと仕組まれました。
ほとんどの人がニンジンを目指す馬のようになりました。
シンデレラはいない
ロッ○ーやシン○レラというキラキラしたストーリーを多くの人に見せては、頑張ればいつか報われることをすりこみました。
ですが、シンデレラになれる人なんて、ほんのわずかです。
普通の人が社交界デビューなんて作り話しなんです。
身分のちがいすぎる王子さまが平民を迎えにくるわけないし、もし迎えにきたとしても、育ってきた環境がちがいすぎてハッピーエンドになるのは不可能に近いです。
スピリチュアルな世界では「しあわせな人に不幸な人は見えない」と言われています。
歯を食いしばって、いまの生活をすることに精一杯な人が、豊かな人と出会う可能性はかぎりなくゼロに近いわけです。
そんな真実に気づかず、多くの人がニンジンを目指して走りつづけています。
それを喜べるのは誰でしょう?
グローバル化って効率悪いっしょ?
そうやって多くの人をだまし、目の前にニンジンをぶらさげて馬を走らせるように人を使って、ほんの一握りの人が豊かになるのがグローバル化の正体です。
グローバル化に必要なのは「効率的な経営」です。
コストを極限まで削って利益を最大化することがほとんどの会社に求められています。
そこで働く人間にも効率を求めてきます。
効率的な仕事で出来あがった生活はたしかに便利です。
世界のどこでも一定のレベルのサービスを受けられるようになりました。
Googleで調べるため、Appleの製品を買い、Facebookで人とつながり、そこで紹介されたものをAmazonで買う。
英語がしゃべれなくてもAIが翻訳をしてくれ、めんどうな作業もAIにまかせられるようになりました。
便利な世界にはなりました。
でも、それは一部の人にだけです。
効率よくなにかを運ぶため、作るために石油を掘り出し、効率よく作物を育てるためといって限りある資源を掘りつくす。
ホントはとっても大事な役割を果たしている微生物や小動物、虫や雑草はムダで非効率とされました。結果として、この地球からいなくなったモノも少なくはありません。
自分よりも立場の弱い国の人をこき使います。作物をつくらせ、洗わせて荷詰めさせ、運ばせて、販売させます。それぞれ別の人たちがやります。
なんでやらなきゃいけないかというと、グローバル化によって国が借金をしてしまったからです。というより、しなくてもいい借金をさせられたというほうが正しいかもです。
ほんの一部の人間だけが豊かに生きるために、地球のモノ、そして多くの人が不必要にこき使われているのがグローバル化ともいえます。
コストを抑えて利益を最大化させる効率的な経営のために、とんでもないムダなことをしていると考えることもできます。
効率がいい生き方って?
答えはないです。
これが正解という模範解答はないし、なくてもいいんじゃないか?
日土水むらではそう考え「みんなちがって みんないい」を目標にしています。
日土水むらではホリスティックやオーガニックがテーマですが、その他にもサスティナブル、スピリチュアル、三方良しなんかもあります。
なんでもいいんだと思っています。
自分にとって心地よい生き方で、そして、それが他の人にとっても心地よいことで、人間だけじゃなく地球に住んでいるすべての生命が心地よくなる生き方なら
それがホントの生き方じゃないでしょうか。
僕も人一倍めんどくさがり屋で効率という言葉が好きです。
めんどくさいので食べるのも一食、持つものも必要最低限、稼ぐお金も必要最小限、家族もいません。
個人的にはラクですが、それが正しいとは思いません。
かといって間違いとも思っていません。
いまの生活をやめて、すべてが自由になるなら、アナタはどんな生き方をしますか?
それは誰と共有すれば
よりしあわせになるでしょう?
そうなったら
どんな世界になっているでしょう?
みんなで考えてみませんか?
とんでもない非効率な生き方が、じつは効率的なのかもしれません。
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